Part8


スペシャル・FXコラム


リンカーン・リム氏 ………………. 外国為替証拠金(FXマージン)取引 『マーケットの展望』 (上)


「サービスの質」・「商品性」・「安全性」
1990年代初頭、シンガポールでFXマージン取引の創成期、取引システムの構築に携わった私が感じることは、「ノーリスクの金融商品志向が強い日本では、個人も為替取引できる!ことが注目されていない」ということ。「外貨で運用」といえば、手数料が高い外貨預金をポートフォリオに組み込んでいることから、FXマージン取引をもっと理解してもらえば、有利な金融商品であるということを認識できるはずです。FXマージン取引は、先物やオプションとは違います。FXマージン取引は、ロールオーバー(決済の繰り延べ)できる外貨の運用であるため、スワップ金利が毎日もらえ(*)、外貨預金の金利よりも高く、しかも円高局面では外貨を売る運用が可能なため、為替リスクのヘッジにも有効な金融商品だと注目され始めれば、認知度は自然と高まると思われます。 (*)FXマージン取引は、スワップ金利をツールとすることでポジションをロールオーバーできます。取引通貨ペアで金利が低い方の通貨を保有の際には、日毎にスワップ金利を顧客が支払うことになります。
FXマージン取引が日本の市場で発展していく上で、「サービスの質」「商品性」「安全性」の3つの要素が不可欠と考えます。
(1) 「サービスの質」とは、24時間体制によるサポートで、顧客が満足するサービス提供ができること。
(2) 「商品性」とは、フェアであることが重要です。相対取引であるがゆえに、提示されるプライスや取引されるレートは、インターバンク市場の取引レートに近いものであることが重要です。しかも、プライスは常に提示されていて、ヒットすればそのレートで約定できることが理想です。
(3) 「安全性」とは、信用面で取扱会社やそのヘッジ先金融機関に問題が発生しても、顧客にトラブルが波及しない体制を整えておくことです。
~ 歴史を振り返る ~
FXマージン取引の歴史を振り返ることは、現在と将来の健全なマーケット発展のために必要なことだと考えます。マージン(証拠金)を利用した外国為替(FX)取引は、1980年代後半から香港で始まった取引です。当時は、一般投資家が参加できるのはフューチャー(Future先物)だけで、スポット(直物)取引は銀行間のみの取引でした。しかし、このフューチャー取引はまったく人気がないものでした。不振の理由は:
1) 24時間取引ではない
2) 流動性がない
3) 売買単位が大きい
4) 為替レートや情報を知る手段がない
5) 保有期間が限定されていた
6) ブローカーへの注文は電話だけで不便
という要因でした。
その後、銀行為替ディーラーやトレーダー、為替仲介業者などが、個人ベースで為替のスポット取引取次業務を行うようになり、次第に一般個人へと広がりました。さらに、香港には取引に係わる規制や法律がなかったため、金融機関としてではなく、一般の会社として設立され始めました。当初は今のようなマージンは介在せずに、損益だけをやり取りする仕組みでしたが、そのうちに損金を払わない顧客が現れ始めました。
そこで、マージンを預託するルールが作られ、金融機関として登録する取扱会社が急増しました。しかし、ビジネスとしては次第に拡大していく反面、セールスマンによる騙しや詐欺まがいの行為も多発することになりました。外国為替取引は一般投資家に分かりづらく、手数料欲しさにセールスマンによる無断売買も横行し、通常の取引でも経験の乏しい一般投資家はいつも損失を被るような状態でした。
こうしたトラブルに対して香港政庁は、法律で厳しいルールを作ることになったのです。これを契機に香港ではビジネスとして成り立たなくなり、FXマージン取引の中心は91~92年ごろシンガポールに移っていきました。しかし、ここでも無断売買や詐欺行為などが横行したことで、96年中央銀行にあたるシンガポール通貨庁(MAS)が極めて厳しい法律を作り、取引の規制をしました:
1) 取扱会社の資本金は1億シンガポールドル以上
2) 取扱会社は証拠金として通貨庁に500万シンガポールドルを預け入れる
3) 取扱会社のスタッフは5年以上の金融業務経験が必要
上記の内容などでマーケットを規制した結果、3つの上場企業だけが残っただけとなり、ビジネスとしては大きく縮小してしまいました。
96、97年ごろになると米国でFXマージン取引は盛んになりました。シンガポールなどで金融を学んでいたロシア人が米国に移り住み、彼らがFXマージン取引を広めるきっかけになりました。当時、米国人の投資指向は株や債券に向かい、FXマージン取引にはあまり注目されませんでした。またそのインフラもありませんでした。
さらに、ITバブルの崩壊による不況で、リストラされたシステムエンジニアたちが、インターネットでFXマージン取引できるソフトを開発、FXマージン取引会社に提供することになります。プログラムの開発を得意とする会社と、マーケティングに強い会社が提携し、インターネットの普及と共にFXマージン取引マーケットが拡大しました。
そして日本では、98年の『金融ビッグバン』による外為法の改正で、為替取引が自由化されました。当初、一般投資家や日本の会社は、FXマージン取引の経験がなく、フューチャーと同じ金融商品と思っていたようです。しかも、電話取引が中心でインターネットもまだ普及しておらず、スプレッドは大きく、手数料は高かったことからデイトレーダーが入る余地はありませんでした。
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このつづき「マーケットの展望」(下)は、Part 9で掲載。


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